こんにちは! 院長の大川親宏です。
H19年7月に実家である当院に戻って参りました。
H21年12月から父に代わり院長に就任し、院内の改装や最新機器の導入などを積極的に行い、よりレベルの高い医療を提供できるように努めております。地域のみなさまのお役に立てるように頑張りますのでよろしくお願いいたします。
こんにちは! 院長の大川親宏です。
H19年7月に実家である当院に戻って参りました。
H21年12月から父に代わり院長に就任し、院内の改装や最新機器の導入などを積極的に行い、よりレベルの高い医療を提供できるように努めております。地域のみなさまのお役に立てるように頑張りますのでよろしくお願いいたします。
S44年 | 三重県四日市市に生まれる |
H8年 | 三重大学医学部卒業 |
H10年 | 三重大学眼科学教室入局 |
H11年 | 山田赤十字病院 |
H12年 | 三重大学医学部附属病院 |
H13年 | 岡波総合病院 |
H14年 | 三重大学医学部附属病院 |
H15年 | 済生会松阪総合病院 |
H17年 | 三重大学医学部附属病院 糖尿病外来・緑内障外来担当 |
H18年 | 山田赤十字病院 |
H19年7月 | 大川眼科副院長 |
H21年12月 | 大川眼科院長 |
日本眼科学会、日本緑内障学会、ドライアイ研究会、日本白内障屈折矯正手術学会
子供の頃は体が弱く、しょっちゅう風邪を引いては学校を休み、近所の小児科の先生にお世話になっていました。機械いじりが好きで、壊れた電化製品を分解してみたり、ラジオを組み立てたり、当時はまだ珍しかったパソコンを触ったりしていました。運動は苦手でしたが、友達と野球をしたり、缶けりをしたり、外でもよく遊んでいました。
「医師を志すようになったきっかけは?」と、たまに聞かれるのですが、これといったきっかけはありませんが、私の子供の頃を知る患者さんから、「僕は医者になるから」と小学生の頃言っていたと聞きました。(覚えてない)
また、家族で食事に行った時に、そこのご主人が「手術を受けてものすごく良く見えるようになった」ととても感謝されている場面を覚えています。当時父は毎日100人近い患者さんを診察していたわけですが、そんな父の背中を見て自然と医師を志したということでしょう。(父に面と向かって「医師になれ」と言われたことはありません)
大学時代は卓球部に所属し、毎日卓球に明け暮れていました。大会は医学部生だけの試合だったのでレベルは高くありませんでしたが、チーム一丸となって戦ったことや、試合後に他大学と交流を深めたことは良い思い出です。
また、オーストラリアに4か月滞在し、ホームステイして英語学校に通ったり、バスを乗り継いで大陸を1周したりしました。予定を決めていない1人旅だったので、町に着くと案内所でやり取りをして宿を確保したり、ツアーを予約したりしていました。海水浴中に足がつって溺れて、ライフセーバーに助けられるという事件も経験しました。(本当に死ぬかと思った)
このような経験から今でも海は怖いです。
平成10年に研修医として三重大学眼科に入局しました。1年目は同期の眼科医が多くいたので楽しかった反面、担当する患者さんが少ないため経験が積めずに苦労しました。2年目の春に山田日赤に赴任し、いろんな患者さんを診察するようになった時に、「このままでは(自分の知識が足りないせいで)患者さんの目を潰してしまうかもしれない」と思い、教科書を読み漁りました。
今でもその思いは変わらず、学会などで知識のアップデートに努めています。山田日赤では当時の水門部長(現すいもん眼科院長)に手術の手ほどきを受け、いろんな経験をさせていただきました。ここでの経験が私にとって眼科医としての原点となっています。
その後県内の病院を転々とし、さらなる臨床経験を積みました。大学では緑内障外来と糖尿病外来を担当させていただきました。
そんなある日、久しぶりに父の姿を見た時に、「ああ、年老いたな」と感じた瞬間がありました。その時自然に「実家に帰ろう」と思いました。当時新しい手術を習得し始めた頃で、もう少し勤務医を続ける選択肢もありましたが、迷いはありませんでした。父は亡くなってしまいましたが、5年間一緒に仕事ができたことで少しは親孝行できたのかなと思います。
このような理由から、平成19年7月に副院長として当院に帰ってきましたが父は60才で手術をやめていましたので再開するに当たって手術室を改装しましたが、外来は開業当時のままでした。
実際に診療してみてたくさんの改善点が見つかり、エレベーターの設置、玄関のバリアフリー化、受付カウンターの改装、電子カルテ化、検査室・待合室の増築などを段階的に行い現在の形になりました。新規に開業するのであれば、自分の思うように医院を設計したりシステムを考えたりできるのですが、古くからあるものを少しずつ今の時代に合うように変えていくのは苦労しました。
でも歴史があるということは、長年通って下さる患者さんも多いということです。父が10年、20年診てきた患者さんが自分を信頼して下さることは本当にありがたいことです。そして同じ患者さんをずっと診ていくこと、すなわち患者さんの人生に寄り添うことが開業医としての一番のやりがいではないかと思います。
私が思う当院の5年後のヴィジョンは「一人でも多くの患者さんに大川眼科のファンになってもらいたい」という事です。
患者さんの心に寄り添い、当院に来ることで心まで癒されるような、そんな眼科を作りたいと思います。
「大川眼科で診てもらって良かった!」
「これからもずっと大川眼科で診てもらいたい!」
「やっぱり大川眼科じゃないと満足出来ない!」
そんな声があふれるように、スタッフとともに知識と心のレベルアップをしていきます。